愛用者インタビュー
ゲスト : 鳥越俊太郎(とりごえ しゅんたろう)さま
1940年、福岡県生まれ。京都大学文学部卒業後、1965年、毎日新聞社に入社。1989年8月に毎日新聞社を退社し、同年10月、『ザ・スクープ』(テレビ朝日)の司会に就任。2005年、大腸がんであることを自ら告白し、手術を経て復帰を果たす。がんはその後、両肺、肝臓への転移もあったものの、すべて手術を受けて、現在は寛解状態となっている。がんと闘いながらも、テレビやラジオ出演、執筆、講演会など活動は多彩かつ活発。いまもメディアの一員として、情報や意見を発信し続けている。自身の体験を通して著した『食べて よく寝て 鍛えなさい』(内外出版社)や『がん患者』(講談社)など著書も多数。
聞こえが悪いのも、個性のひとつ
清水:今回は当店のお客様ではなく、シグニア補聴器のアンバサダー鳥越さまにご出演いただくことになりました。
鳥越さまは補聴器を長くお使いになられているそうですね。
鳥越:メニエール病をきっかけに徐々に聞こえなくなって、60歳くらいのときから使い始めました。すれ違いざまに声を掛けられても気づかないことが増えて、相手の気分を悪くしてしまうことがあってやはり聞こえが悪いことが原因のトラブルは避けたいですからね。
清水:わかります。僕は27歳のときに補聴器ユーザーになりましたが、使っていないころは何度も呼ばれているのに気づかないことも多くて。ようやく気づいたときには相手が気分を悪くしているという体験を何度もしているんです。
※この体験をアニメーションでご覧いただけます。
https://www.hearing-store.com/company_information/#message
鳥越:27歳ですか。
清水:中学2年のときに真珠腫性中耳炎という再発性の耳の病気をしまして、これまでに8回手術をしています。手術のたびに聴力が下がる病気で、7回目の手術のときにいよいよ会話が厳しくなりました。それで、補聴器を使うように医師に勧められたのですが、長年の難聴のコンプレックスに補聴器が加わって、ものすごく落ち込みました。
鳥越:それは大変でしたね。
清水:鳥越さまのように柔らかな髪質だったらどんな補聴器も隠せたんですが(笑)短髪だったものですから小さな耳穴タイプの補聴器を着けました。母親からは「それも運命。受け入れなさい」「あなたにも何かしら役割があるはず」と言われて、「では、僕の役割はなんだろう」と考えたんです。
鳥越:それが現在の仕事につながっていったと。
清水:はい。補聴器ユーザーが補聴器のお店をやる。長年のコンプレックスをさらけ出すわけですから決意するまで勇気が必要でしたが、同じ悩みを持つ方々にとってこれほどの強みはないですし、これは僕に与えられた使命だと思いました。でもユーザーであっても経営のことは素人ですから、スタートまでは簡単ではありませんでした。紆余曲折を繰り返して、16年前にようやく開業できたのです。
鳥越:なるほど。
清水:鳥越さまはがんに罹患したこと、その後の闘病について、これまでメディアを通じて発信しておられます。同じ境遇の人はとても勇気をもらえたと思いますが、がんになってから、行動の変化というものはありましたか?
鳥越:2005年に大腸にがんが見つかり、そのときすでにステージ4で、5年生存率17%と言われました。でも僕は楽天的でね、昔から落ち込むことがない性格なんです。ですから告知されたときも「あぁ、がんか」くらいで、さほど衝撃は受けませんでした。それで先生に「どうすればいいいのか」と尋ねたら、「切れば良い」とおっしゃる。「では切ってもらいましょう!」と、深刻ではありませんでしたね。ただし、がんの告知を受けたときの衝撃の度合いや受け止め方は千差万別。僕の楽観的な受け止め方はその一例であり、いま寛解状態になっているという症例もまた一例です。ですから断定的にはいえませんが、がんは皆に等しく絶望ではないということだけは言えると思っています。また性格的に明るく前向きな人は免疫力が上がり、がんとの闘いを有利に展開することができるともいわれます。だから僕の楽天的な資質が有利に働いたのだろうとは思っていますね。
清水:補聴器ユーザーの方の多くが60歳以上で、お客さまにもがんを体験された方が多くいらっしゃいます。
鳥越:高齢になるとかかりやすい病気がいくつかありますが、がんや難聴もそのひとつですからね。僕も60歳前後から補聴器を使い始めたと言いましたが、僕にとって補聴器もがん同様、ネガティブなこととは受け止めていませんでした。18年前の補聴器はいまほど身近な存在でもないし、今の物とは違って大きな肌色の物体で、存在感もありましたね(笑) これまで耳掛け式で他者から「どうしたの?」と聞かれるものも使ってきましたけれど、むしろ着けていること、使っていることを威張りたいくらいの気持ちでいましたね。
清水:そういう前向きな気持ちになれるのは、鳥越さまが記者として様々な弱者を見続けてきた経験からくるものなのでしょうね。
鳥越:一般的に人は自身の障害を他者には知られたくないと思っています。五体満足であることを前提に生きていきたいと考えています。そこが欧米に比べて日本が遅れている点で、まだ障害をキャラクターのひとつであり、個性としてとらえることができない人も多い。補聴器を使うこと、これは18年前に僕の個性のひとつに加わったんです。
清水:耳の障害はどういう状態か他からは見えませんし、わかりづらいことも多いですから。
鳥越:耳はとくに自身が発信しなければ、他人に障害を察知されずに生きていくことができますよね。余計に苦労が想像しづらいんです。その一方で、察知されないから補聴器を使わずに生きることを選択する人もいるでしょう。でも補聴器を早い時点で使い始めれば日常生活も改善され、コミュニケーションも向上します。このことを多くの人が知るようになれば、早くから装着する人も増えていくはずなんです。そのためには社会にあるネガティブな印象を早く払しょくしなければならない。実現すれば、普及も進むと思います。難聴があっても後ろ向きにならずに、堂々と社会に参加してほしいですね。
清水:この仕事をスタートするときに、「補聴器をメガネくらい身近なものにしたい」という理念があって、その話を年配のお客さまにすると「昔のメガネは黒ぶちしかなくて、レンズも分厚くて、子どもはいじめられたものよ」と言われることもあります。でもいまやメガネはおしゃれアイテムですから、時代は変わりました。確か、鳥越さまはメガネで受賞されていますよね。
鳥越:『メガネベストドレッサー賞』(第18回/2005年度)をいただいています。こうした賞も、社会の意識を変えていく、変えられるという証左のひとつなのかもしれませんね。
聞こえが悪いという個性を使い切る
清水:ドイツでは年1回、補聴器の展示会、国際学会である『EUHA』(European Union of Hearing Aid Acoustics)が開催されています。僕も毎年、最先端の情報を収集しに従業員を連れて行っているのですが、先進国の中でも補聴器に対する満足度が日本では39%しかないんです。ドイツなどヨーロッパ諸国は70%から80%にも上る。現地の販売店に満足度が高い理由を聞くと、それほど悪くなる前の50代から着け始めているため聞こえが維持できているんですね。
鳥越:日本人は着け始める年齢が高いんですか。
清水:そうなんです。聞こえづらくなって平均で7年、なかには10年以上も経ってから来店される方もいます。聞こえていない期間が長いと、言葉の聞き取り能力が低下することがわかってきています。つまり脳が言葉を正しく認識できなくなってしまったり、音を正しく伝達できなくなるわけです。この聞き取り能力が落ちてからだと補聴器で音を大きくしても聞き取れませんから、聞こえが悪くなってきたら1日でも早く使い始めてもらいたいんです。そうすれば必ず満足度は上がると考えています。
鳥越:いまでは小さい補聴器や、カラフルな補聴器もありますからね。見せたくない気持ちに寄り添うサイズのものから、どんどんおしゃれにアピールできるモデルもある。もっと積極的になれる時代になっているのですから、やはり堂々と、ポジティブに補聴器を使う選択をしてもらいたいですね。
清水:鳥越さまは補聴器について、がんと同様に積極的にお話くださっていますが、ユーザーとして、いまの日本の社会の“聞こえに対する問題点”をどう考えておられますか?
鳥越:僕はテレビやラジオ、新聞などは聞こえの悪い方への情報発信ができていないと思いますね。まだ補聴器市場が成熟していないこともあって、このようなことに資金を投下できる段階まで至っていないと感じます。
清水:費用対効果ばかり考えてしまいますが、われわれの立場から、もっとアウトプットしなければいけませんね。もし機会があればぜひゲストでお願いします(笑)
鳥越:なかでもテレビの世界は聞こえの悪い人に注意を払っているとは思えないですね。とくに映画の吹き替えには苦労しています。声優さんは声で芝居をするもの。活舌を重視しているわけではありませんから、ニュースとは聞こえ方がまったく違います。また効果音や音楽、言葉と音は何層にも重なっています。そうなると難聴の人にとって、情報の獲得は目に頼らざるを得ないので、字幕の方が優しかったりするんです。
清水:日本のテレビ番組は大きく効果音や音楽を被せてくるから、さらに何を言っているか聞こえなくなるんです。
鳥越:映画は奥さんとソファに並んで観るのですが、いちいち奥さんに「いまなんて言った?」と聞いてます。補聴器でも聞こえにくいことがあって……。またレストランでもBGMが大きくて、会話ができないこともあります。音楽は場所によってはすべての人にとって楽しむものではないということも認識してもらいたいですね。音に対して無頓着すぎるという現状に触れるたびに、日本はメディアを含めて、難聴への理解が遅れていると強く感じます。
清水:聞こえにくい人がどう感じているのか、声を上げることも大事ですよね。
鳥越:いま僕は“聞こえ”に対して、年中腹を立てていますが、そうした部分に気持ちがおよぶようになったのは、やはり、自分が聞こえなくなってから。当事者にならないとわからないことも多いのは事実です。がんを罹患したことで、その後、がんをきっかけに他者とのつながりができたり、がんのことをアピールできたり、“がん”をとりまくさまざまな事象に自分は活かされていると思うことも多くなりました。ですから耳のことも同様と思っていて、「聞こえの悪い人がいる。これまで聞こえの悪い人はいろいろなことを我慢してきた」という状況を打破したい。つまり僕の耳の聞こえが悪くなったのは、ひとつに「そういう状況にある」ということを言う役割を与えられたからと思っています。清水さんは補聴器を広げていくのが役割ですが、僕は耳の悪い人がどう感じているか、社会に発信することが役割です。
清水:心強いスポークスマンを得ました!
鳥越:一般的に人生でマイナスと感じられることが起こっても、打ちひしがれたり、つぶされるのではなく、逆転できたり、プラスに転じることができる人がいますが、今日、お話をしていて、清水さんと僕との共通点はそこだと思いました。ヒューマンパワーというのかな、ときどきこういう力を持っている人がいて、清水さんも僕もそういうタイプの人間なんです。これも僕らの“個性”です。これからも与えられた個性を使い切りたいですね。
清水:これをお読みいただいた方は鳥越さまから勇気をもらえると思います。どうもありがとうございました。